雑談
結成から50年!JOURENY (ジャーニー)レコードの代表曲紹介などなど
1973年の結成から50周年を迎え、2017年にはロックの殿堂入りを果たしたアメリカの偉大なバンドJOURNEY。曲名を知らなくても「聴いたことある!」となるのがJOURNEYです。WBC・侍ジャパンのテーマソング「「Separate Ways」」でもおなじみ。数々の名曲を持つJOURNEYについて、ヴォーカルが変わった理由、代表曲、さらに現ヴォーカル、アーネル・ピネダのサクセスストーリーについてご紹介します。
JOURNEY 偉大なヴォーカリスト スティーヴ・ペリー
JOURNEYはサンフランシスコで結成し、当初はプログレバンドとして活動。しかし人気が出ず、専任ヴォーカリストを補充することに。1977年、わずか3ヶ月で解雇された初代ヴォーカリスト、ロバート・フライシュマンの後任として参加したのがスティーヴ・ペリー。ペリーの加入後、JOURNEYはそれまでのプログレロックからポップなものへと変化。ペリーの圧倒的な歌唱力と表現力で、JOURNEYは人気バンドとなり、1980年代にたくさんのヒット曲を生みだしていきます。ペリーはとにかく歌がうまい!音域が広く声量があってぶれない歌声に魂を揺さぶられます。そして若かりしペリーのカッコよさ、美しさは本当に魅力的です。
1986年、人気絶頂の中でペリーが脱退しバンドは休止状態に。理由は愛する母を亡くした心労によるもの。ですが、1996年の再結成アルバム「Trial by Fire」でペリーはJOURNEYに復帰。アルバムは大ヒットしツアーも予定されていましたが、ペリーの股関節の不調でツアーは延期。人工股関節置換手術を迫られるペリー。メンバーは、ペリーに早急な手術か、代わりのヴォーカルを入れるかの2択を迫ります。ペリーは、自身の健康よりもバンドの事を優先させるメンバーへの怒りと落胆で、1998年に脱退。JOURNEYは、新ヴォーカルにスティーヴ・オージェリーを迎えます。オージェリーは7年間在籍の後、長年に渡るのどの不調で脱退。続く新ヴォーカル、ジェフ・スコット・ソートはメンバーとの確執により、わずか1年で脱退。そして新ヴォーカルに迎え入れられたのがフィリピン人のアーネル・ピネダです。
ペリーは、JOURNEY脱退後、あまり表立った活動はしておらず、2018年に24年ぶりに3枚目のソロアルバム「Traces」をリリース。2021年には クリスマスホリデーアルバム「The Season」もリリース。ちなみにJOURNEY脱退後に人工股関節置換手術を受け、日常生活には問題ないとの事です。渋くなった今のペリーもとてもカッコいいです。
JOURNEY 現ヴォーカル アーネル・ピネダのサクセスストーリー
現ヴォーカル、アーネル・ピネダがJOURNEYに参加するきっかけ。それはYouTubeに上がっていた動画をギターのニール・ショーンが見たことから。JOURNEYの「Faithfully」をカバーする、ピネダが在籍しフィリピンで活動するバンドThe Zoo。ニールが、ペリーを彷彿とさせる声と歌唱力に驚きピネダに連絡。最初は嘘だと思い無視していたピネダも、ニール本人だと知り、あわてて連絡をしたとの事。ニールからのメールには「本物のJOURNEYで歌わないか?」と。そしてJOURNEYの新ヴォーカリストへ。
ピネダは、12歳で母をリウマチ性心疾患で亡くし、医療費などで一家は多額の借金を背負い生活は困窮。4人兄弟の長男ピネダは学校をやめ、自ら路上生活者へ。空き瓶や新聞回収、船舶の清掃などをしながら貧しい日々を過ごしました。15歳の時にバンド活動を開始。20代では違法薬物常習者で逮捕され、のどをつぶしかねないほどの健康状態をリハビリで乗り越えました。ピネダは、けっして薬物に手を出さないようにと訴えています。そして自身の貧困経験から、ストリートチルドレンへの財団を設立し支援を行っています。
無名のシンガー、ピネダがJOURNEYに参加したのは40歳の時。幾多の挫折を経験しながらも、音楽の夢をあきらめなかったピネダのサクセスストーリーは、映画「Don’t Stop Believin’ – The Everyman’s Journey」で描かれています。
JOURNEYの代表曲と人気のアルバム
長い歴史を持つJOURNEY。スティーヴ・ペリーがヴォーカルだった1970年代後半から1980年代は、JOURNEYの黄金時代と言っていいでしょう。ペリー時代の代表曲5曲をご紹介します。
①「Don’t Stop Believin’」
勇気と希望を与えてくれるとても人気の高い曲。ニールのギターリフも印象的。
JOURNEYのドキュメンタリー映画のタイトルでもあり、アーネル・ピネダのサクセスストーリーとも重なり胸が熱くなります。一番人気のある曲では。
②「Separate Ways」
多くの野球ファンが耳にし、気になるけど誰の曲かわからない……というのがこの曲。TBS系のWBC・日本代表戦・侍ジャパン中継でおなじみ。テンションの上がる曲ですが、歌詞の内容は男女の別れを歌ったものです。
③「Open Arms」
映画「海猿」の主題歌や車のMにもなっていたので多くの人が聴いた事があると思います。壮大な名バラード。
④「Any Way You Want It」
キャッチ―でポップでテンションの上がる曲。朝の情報番組で耳にした人も多いはず。ライブでの掛け合いも楽しい。
⑤「I’ll Be Alright Without You」
おしゃれな感じで個人的に大好きな曲。何度聴いても飽きません。AORが好きな人はきっと気に入ると思います。天才ギタリスト、ニールのギターソロが素敵すぎます。
JOURNEYのアルバムで人気があり名盤とされるのが、「Escape」 と「 Frontiers」。2017年の来日公演では、この2枚のアルバムを曲中どおりに披露する再現ライブも行われました。
JOURNEYの1980年代のレコ―ドは今でも人気が高いです。ペリーとピネダ、比べられがちですが、どちらも素晴らしくどの時代もJOURNEYだと思います。結成から50年!2023年は来日も実現するかも!オーパラではJOURNEYのレコード買取を行っております。レコードをお持ちの方はぜひ当店までお問い合わせくださいませ。
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斬新なMTV 大ヒット曲「Take On Me」a-ha(アーハ)のご紹介
1985年、世界的に大ヒットした「Take On Me」。楽曲の良さと共に注目を浴びたのがMV(ミュージックビデオ)の素晴らしさ。当時はまだ珍しかった実写とイラストの融合に多くの人がびっくり。日本では一発屋?という不名誉なイメージもあるa-ha。実はそうではありません。a-haについてご紹介します。
a-haについて
a-haは、1982年にノルウェーで結成されたシンセポップバンド。メンバーはモートン・ハルケット(Vo.G) 、ポール・ワークター (G.Dr)、マグネ・フルホルメン(Key.G.Ba)の3人。1985年にシングル「Take On Me」が世界的大ヒット。斬新なMVも大きな話題となり、人気に拍車をかけました。ノルウェーのアーティストとして初のビルボード1位を獲得。日本での人気もすさまじいもので、アイドル的に女性ファンからの熱い視線が注がれました。背が高くブロンドの髪、青い瞳、イケメン……とにかくカッコいい!女性が夢中にならないはずははないでしょう。そんなルックスから洗練された音楽が繰り広げられるのだから、大ヒットになるのもうなずけます。1980年代を象徴するバンドです。
日本では「Take On Me」の後はヒットが出ず、なんとなく一発屋の不名誉なイメージがあるa-ha。ですが、実はそうではなく人気は健在。イギリスでは、セカンドシングル「The Sun Always Shines on T.V.」は1位、その後も1990年までにベスト10ヒット8曲を記録。1987年には映画「007 リビング・デイライツ」の主題歌「The Living Daylights」を担当しています。ヨーロッパ、南米などでの人気も高く、1991年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催されたライブでは、19万5000人の観客を動員。1994年には「Shapes That Go Together」がノルウェー・リレハンメルパラリンピックのテーマ曲に。
以降は、それぞれソロ活動に専念。2000年に発売されたアルバム「Minor Earth Major Sky」は、ヨーロッパ各国でプラチナ・アルバムを獲得する大ヒット。2006年には、シングル「Analogue (All I Want)」が18年ぶりに全英チャートにトップ10入り。日本では少し忘れられていた感がありましたが、人気バンドとして活躍していたのです。
2009年のアルバム「Foot of The Mountain」は、母国ノルウェーの他ドイツ、全英でチャートインのヒット。2010年、ノルウェー・オスロスペクトラムでのライブを最後にa-haは解散しました。
大ヒット曲「Take On Me」は2バージョンあった!
世界的に大ヒットしたa-haの「Take On Me」。実はこの曲には2バージョンあることをご存知でしたか?1984年バージョンと1985年バージョンがあり、大ヒットしたのは1985年バージョンの方。大ヒットした1985年バージョンの方がよりポップな作り。
a-haはトニー・マンスフィールド氏のプロデュースで1984年に「Take On Me」でデビュー。ノルウェーではチャート3位のヒットになりますが、世界的ヒットにはならず。1985年にアラン・ターニー氏がリアレンジした「Take On Me」が全米1位・全英2位の大ヒットとなったのです。
MVもメンバー3人が演奏、歌っているだけの1984年バージョンは、やや平凡な印象。1980年代半ば、音楽は視覚的に訴えてくるものにもなってきます。そういった意味で1985年の「Take On Me」のMVは革命的だったのではないでしょうか。
斬新なミュージックビデオ「Take On Me」
「Take On Me」の大ヒットはMVの力もあると思います。漫画と現実の世界とを行ったり来たりするような映像に、多くの人が驚き夢中になりました。1980年代代の音楽シーンでは、マイケル・ジャクソンの「スリラー」を筆頭に、MV制作が大きな意味を持つようになりました。1981年に開局したアメリカのケーブルテレビMTVでは、24時間MVを流すことで話題に。
日本でも同時期に始まった「ベストヒットUSA」。小林克也さんの軽妙な英語のトークと豊富な知識で洋楽を紹介し大人気に。多くの人が「ベストヒットUSA」で洋楽を学んだのではないでしょうか。テレビやレコード店の店頭で流れてくるMV。MVは、当時はプロモーションビデオ(PV)と呼ばれ、文字通り音楽を宣伝。大ヒットの裏に大きく貢献しているのがMVなのです。
再結成・ドキュメンタリー映画・幻の来日公演
2010年に解散したa-haですが、2015年に30周年を記念して再結成。わりと短いスパンでの再結成は人気の表れなのかもしれません。その証拠に、同年のアルバム「Cast In Steel」は全英アルバムチャートトップ10入りのヒット。2022年にはドキュメンタリー映画『a-ha THE MOVIE』が公開され大きな話題に。日本でもこの映画をきっかけに、a-haをまた好きになったという人も。2022年には7年ぶりにアルバム『True North』がリリースされa-haの人気は健在なのです。
2020年に来日し、国内数か所でライブを行う予定だったa-ha。新型コロナウイルスの影響で再三延期を余儀なくされ、現在ライブは未定となっています。でも、メンバーは「日本でライブを行いたい」という気持は変わらず。来日が待ち望まれます。
a-haの人気レコ―ド買取いたします。
a-haの大ヒット曲「Take On Me」のレコ―ドは1984年盤、1985年盤、さらに12インチ盤もありファンの間で需要が高いです。ファーストアルバム「Hunting High and Low」も人気作品。a-haのレコ―ドは国内盤、UK盤、US盤など種類があり、ファンは全て手に入れたいもの。再結成や映画を機に、a-ha熱がまた高まった人も多いようです。オーパラではa-haのレコードの買取を行っています。買取をご希望の方は当店までお気軽にお問い合わせくださいませ。
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河内家菊水丸 in 中之島なつまつり2022|レゲエやワールド系レコード買取
河内家菊水丸、一部レゲエ、当店が探しているワールド系のレコード高価買取します
当店事務所の近くで行われた「中之島なつまつり」に行ってきました。
場所は大阪国際会議場で行われ、綺麗な施設の中庭に、盆踊りのやぐらが組まれ、数々の美味しいと評判のお店の屋台もたくさん出ており、また、近所にお住いの方々やご家族でかなりのにぎわいをみせていました。
それだけ会場の雰囲気が良いということでしょう。
ぼくら音機館オーディオ&レコードチームのお目当ての河内家菊水丸の登場まで、屋台で食べ、ビールを飲んで、会場の良い雰囲気も手伝って、とても良い気分で酔えた夜だった。
やっぱり盆踊りと言えばこの人だろうし、このグルーヴが最高
昨今は盆踊りもスタイルを変えて、盆踊り*ボンジョヴィ=盆ジョヴィや、先日東京でレコードとオーディオを買取に浅草へ行ったときに行われていた「スチャダラパー*エゴラッピン」の夏まつりの試みの新しく、とてもおもしろそうで、魅力的だ。
関西には河内家菊水丸がいる。
河内家菊水丸という人は唯一無二の存在で、独特であり、土着的であり、河内音頭であり、レゲエであり、このグルーヴを体験・感じていると、なにか音楽が扱った時代へタイムスリップをするようだ。
ここはジャマイカと思わせるほどのリズムとワウペダル、そして河内家菊水丸の歌・声、やばい音楽だ
この会場にいた老いも若きも、感じ方はいろいろだろうけど、土臭いブルースのような音楽に身をゆだね、酔いしれたのではないだろうか。
当店ではレコードやCD・DVDや音楽グッズを絶賛買取中です
河内家菊水丸の他にも、、、、
一部レゲエやワールド系音楽のレコードやCDなどを買取させていただきます。
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ロックツアーTシャツ買取|Primal Scream「Screamadelica Live 2022」
ヤァ!ロックツアーTシャツ買取の音機館がプライマルスクリームのライヴに行ってきた
2022.08.17 Primal Scream(プライマル・スクリーム)「Screamadelica 再現Live 2022」at Zepp Osaka 観てきました。
僕自身、スクリーマデリカ再現ライヴじゃなかったら行かなかったとおもう。
それほどプライマルは昔のように聴くことはもうなくなったし、むかしアホみたいに何百回も聴いた名盤だけに思い入れが強いのも事実、SNSで流れてきたライヴ告知を見て、迷ったが行くことにした。
zepp大阪の会場はコロナの影響か、お客の姿もまばらでかんたんに前2列に行けた。「おー!ボビーがこんなに間近で観れるのかラッキー!!!来てよかったぜ」と心の中でガッツポーズし、いまかいまかとボビーの登場を待ちわびた。
予習で聴いたライヴCD「Screamadelica Live」はめちゃくちゃかっこよくて、音もブリブリでグルーヴもぐにゃぐにゃしてていい感じでとがってて、リピートした。
幕が開き、ライヴがはじまり、当時のような感動はないが、良い演奏だったとおもう。
メンバーもボビー以外はだれも知らなかった。
エンタメ要素は少なかったが、むかし聴きまくった曲をこの年で聴けたことに感謝しよう。
たしか、心斎橋クラブクアトロで90年代にプライマルを観たとおもう。
記憶があいまいだが、たぶん観たしカムトゥゲザーで踊った記憶があるし、あの日の会場で友達になったやつもいたような、、、会場を出たところでアメ村のサンホールでアフタープライマルパーティーがあるみたいなチラシを受け取った記憶もある、、、から、きっとあの日あの場所にいた。
あのときの感動が今回のライヴでよみがえることはなかったけど、名盤は名盤、色褪せない、やっぱスクリーマデリカは名盤やなーと、つくづく感心した夜でした。
会場で手に入れた物販Tシャツはこれ
会場で3枚のTシャツを買いました。
2枚はPrimal Scream と東京のアパレルブランドのコラボTシャツで、もう1枚はたぶんワールドツアーTシャツ。
会場ではこれら以外にも何種類ものTシャツが売られていた。
そのどれもがかっこよかったが、ぜんぶ欲しかったが、特にコラボTEEはいい値段がするから、3枚だけに。
写真に写っているボビーがプリントされているのがたぶんワールドツアーTシャツで、裏面にはプリントなし。
他のTシャツの裏面には世界の都市名が書かれていたのでワールドツアーTシャツだろう。ぼくは目が悪いので、遠くが見えずらいので間違っていたら申し訳ない。
ボディはGILDANでハイチ製(made in Haiti)。ハイチ製はめずらしい。
ワールドツアーTシャツもっと買えばよかったなーと、家に帰ってきてから少し後悔した夜でした。
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アメリカにてレコード買付けのトランジットで暇なんで書いたもの
あいもかわらずアメリカやイギリス、ドイツと、時間を見つけては海外買付け出張に出ています。
ぼくももう48歳、大学卒業してからレコード会社に就職して、
ミックジャガーのパフォーマンスをみて、
背筋を鍛えようが、スクワットをしようが、
まあ、それもそのはず、25年間重いレコードを運び続けた影響が
現在レコード100枚入りの段ボールをひとつは軽々持てるが、
海外買付けはとても楽しい仕事だ。
だけど、楽しいだけじゃない。
買付けた重いレコードを運ばなきゃいけないし、
今回は大量に買付けが出来たこともあり、
要するに疲れたのだ。
なので、いまこんな弱気なブログを書いているのだろう。
ビールの一杯でも飲めば、
日本も楽しいけど、アメリカはもっと楽しい。ぼくはアメリカが大好きだ。
アメリカで買付けたあとは同業者だったり、
いやな人とはほんとは飲みたくないが、
いつもお互いバカみたいな音楽話しをしてるけど、
昨日、1時間25ドルの安売りマッサージ店について話をしていた
話し相手の人(マイクと言う)はそこの経営者だ。
1時間に1人のお客さんで6時間フルに予約を入れて150ドルの
施術のベッドが4つあったら600ドルの儲け
10時間営業だとしても実際にフル稼働してるのは1日だいたい6
月の売り上げは15000〜18000ドルとして、
マイクは、5店舗を展開しているとのこと。
マイクはおれに言った、きみもいまのレコード&オーディオ店を多
そこでぼくは、「いいこと聞いたー!」とはならなかった。
もちろん、何店舗も経営する器じゃないっとこともあるし、
マイクのマッサージ店はドメスティックな経営だけど、
扱ってるのはレコードだ、
しかも世界中にいる。
日本人が5万出すと言っても、ロシアやイギリス、
だからこそ、ぼくたち音機館は大阪にいて、世界のコレクター、1
だからこそ、ぼくたち音機館は価値ある、
あっそろそろ飛行機の時間だ!
(まだ書きたいことあるけど、また今度)
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ビートルズ、『Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band』、『The Beatles』
さて、今回はロックということで、ビートルズの『Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band』と『The Beatles』に
ついて記します。
ある意味で、ビートルズ史上、最大の佳境とも言える稿になります。
1・『Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band』の登場
『Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band』はロック史上初のトータル・コンセプト・アルバム、ビートルズの最高傑作
と言われています。
しかし、前者については1980年代の後半から世界中で懐疑的な目を向けられており、後者はヒッピー・ムーブメント、
サイケデリック・ムーブメント等々の時代背景を象徴させる為に勝手に祭り上げられたというビートルズ識者からの意見も
多数あります。
では、その真偽はどうなのでしょうか?
前者について、筆者はよく判らないのです。
アルバムのコンセプトについては、ポールが1966年の時点で思いついたものとされています。
ですが、主にジョンが書いた曲の歌詞をよく読み取っていくと、ジョンはかなり好き放題に曲をつくっていることが分かり、
ポールの意図とは異なっている様に思われます。
後者については、ビートルズのアルバムで何が最高傑作なのかは、人それぞれだと思いますので、自分が、(最高傑作!)、
と思ったアルバムがその人にとっての最高傑作で良いと思います。
ただ、この『Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、音楽史上、とんでもない大きな意義を担っているアルバムなのです。
それは、ライブ活動を停止したビートルズとジョージ・マーティンが、1967年の時点でのエレクトリック音楽要素の全てを
叩き込み、また、1967年の時点でのレコーディング技術の全てを投じて制作されたアルバムであるということ。
以下は、音楽史上、最も大切なことであるのにも係わらず、私が目にしたことのない大事な事柄です。
1958年からステレオ方式のレコーディング、ステレオ方式のアルバムが出ましたが、ロックを含むポピュラー音楽の
エンジニアは当然、ジャズやクラシックのエンジニアにとっても「ステレオ方式」という概念がまだまだ理解されておらず、
ステレオ方式は暗中模索の状態にありました。
ジャズやクラシックのエンジニアたちは、当初は、モニター・スピーカーを1台でやっていたのです。
それで、本来、モノラル録音のものを強引にステレオにしていた訳です。
疑似ステレオ、というのが正しいのでしょう。
その後、エンジニアたちはモニター・スピーカーを2台使用するようになり、何とかステレオ方式のレコーディングを
行ったものの、まだまだ暗中模索。
ところがジョージ・マーティンが、この『Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band』において、音の立体感を構築し、
世界中のエンジニアたちを驚かせました。
そうです。「ステレオ方式」で最も大切なことは、音の立体感を構築することにある訳ですが、それを最初に成した
レコードが『Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band』だったのです。
この『Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band』の登場後、あらゆる音楽のエンジニアたちは「ステレオ方式」を完全に理解し、
その後のレコーディング技術の発展に大きく寄与しました。
ただ、カラヤンのお抱えエンジニアだったギュンター・ヘルマンスだけは、60年代に入ってから、かなり立体的な音を構築して
いましたが。
ジョージ・マーティンも故人ゆえ、確認のしようがないのですが、多分、ジョージ・マーティンはカラヤンのレコードから発想を
得ていたのだと思われます。
あと、この『Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band』で語っておかねばならないことは、ビートルズの4人がまとまってつくり上げた
最後の作品であるということ。
筆者は、ビートルズの全楽曲のなかで、このアルバムの末尾を飾る「A Day in the Life」が最も好きです。
ジョンとポールの個性が見事に融合した楽曲です。
2・『The Beatles』の登場
ビートルズの4人を結束させていた要であるブライアン・エプスタインが死去し、その後でリリースされたこのアルバムは、
通称『ホワイト・アルバム』として有名で、また、「ビートルズの終わりの始まり」とも言われる作品です。
ですが、ロック通と呼ばれる人のなかで、この『The Beatles』を最高傑作に推す人も多いのも事実。
筆者は、このアルバムを初めて聴いた中学1年生の時の衝撃をリアルに覚えています。
ビートルズの4人が分裂状態に陥ったからこそ、このアルバムでは却って4人の個性が露わになり、また、アルバム全体に
満ち溢れた緊張感に強い衝撃を覚えました。
そう。この『The Beatles』では、ジョンやジョージが特に好き勝手にやり、ポールが何とかジョンやジョージを押さえようと
必死になっている姿が垣間見え、ものすごい緊張感に満ち溢れています。
ビートルズの全アルバムのなかで、これほど緊張感に満ちたものはないでしょう。
この『The Beatles』を評する言葉として、筆者は、「ビートルズの全アルバムのなかで最も緊張感に満ち溢れ、ビートルズの4人の
個性が最も際立った作品」というものを『The Beatles』に捧げたいと思います。
名盤ですね。
(文 葛西唯史)
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ローリング・ストーンズ、『Beggars Banquet』、『Let It Bleed』
さて、今回はロックということでローリング・ストーンズについて記させて頂きます。
筆者にとってストーンズは、「ロック・バンド」としてあればレッド・ツェッペリンの次に大好きなバンドです。
1・『Beggars Banquet』のリリースとローリング・ストーンズの背景
『Beggars Banquet』は、1968年11月にアメリカで、同12月にイギリスで発売されました。
それより先立つ同年5月に、シングル、「Jumpin’ Jack Flash」を大ヒットさせていました。
ビートルズの稿でも述べた通り、1965年にジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズに参加したエリック・クラプトンが1960年製のギブソン・レスポールを100W、マーシャル・アンプにつないで、大音量で、「ギャイーン!」とオーバー・ドライブ・サウンドを出し、時代を変えました。
その「ギャイーン!」がイギリスでリズム&ブルースをロックに変え、アメリカでロカビリー(ロック&ロール)をロックに変えたのです。
ミック・ジャガーとキース・リチャーズにも、その「ギャイーン!」が大きな衝撃を与えたことは想像に難くありません。
ぶっちゃけ書きますが、「Satisfaction」で大ブレイクを果たしたローリング・ストーンズ、その後、シングルをいくつも大ヒットさせていたとは言え、ただのポップ・グループに過ぎませんでした。
そして、クリームの結成、渡英したジミ・ヘンドリックスの登場等々、時代がロックを要求していることをミック・ジャガーは敏感に察知したはずです。
ですが、ストーンズは、ビートルズの『Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band』を意識した駄作、『Their Satanic Majesties Request』をリリースしましたが、自分たちの音楽の行き詰まり、ロックの時代への対応に対し、暗中模索の状態にありました。
そうしたストーンズの状況を打開したのが、キース・リチャーズです。
自分が発案したコード・リフを用いたシングル、「Jumpin’ Jack Flash」を大ヒットさせてキース・リチャーズは意気軒昂であったに違いありません。
そのキース・リチャーズは、ブルース純粋主義者。
ローリング・ストーンズの原点を見つめ直す意味において、キース・リチャーズが陣頭に立って、大胆にアコースティック・ブルースを導入した『Beggars Banquet』の制作に入りました。
この『Beggars Banquet』、「Sympathy for the Devil」、「Street Fighting Man」と言った現在までの看板曲ばかりに目が行きがちですが、『Beggars Banquet』の本質は、「Parachute Woman」に代表されるアコースティック・ブルースにあります。
これが、もう偉くカッコイイ。
そして、見逃せないのが、ミック・ジャガーの絶妙なバランス感覚。
ただアコースティック・ブルースをやっても時代に取り残されてしまうのを、普遍性があるものに仕上げてしまうミック・ジャガーの力量。
これが凄い。
ブルース純粋主義者のキース・リチャーズと時代に即応することのできる絶妙なバランス感覚をもったミック・ジャガーが結びつくことで、この『Beggars Banquet』は大成功を収めたのです。
ローリング・ストーンズは、アコースティック・ブルースと言う原点に立ち返ることでバンドを立て直すことに成功しました。
また、この『Beggars Banquet』こそが、「ロック・バンド」、ローリング・ストーンズの本格的な出発点になりました。
名盤中の名盤ですね。
2・『Let It Bleed』のリリースとローリング・ストーンズの背景
『Beggars Banquet』を大成功作にさせたミック・ジャガーの頭には、ブルースをベースとしたロックのアルバムをつくることの必要性が渦巻いていたはずです。
そこでミック・ジャガーは、再度、キース・リチャーズを突っ走らせ、キースを中心とした楽曲群の組み立て、そこに自分の絶妙なバランス感覚を併せることで、普遍的なロックのアルバムをつくる自信があったに相違ありません。
そして出来上がったのが、『Let It Bleed』。
ストーンズ・ファンの誰もが認める名盤中の名盤。
さらにミック・ジャガーとキース・リチャーズにとって幸運だったのは、ドラッグに耽溺していたブライアン・ジョーンズが脱退したこと。
それにより、ミックとキースはストーンズに「弾けるギタリスト」ミック・テイラーを加入させることが出来たのですから。
クリーム、ヘンドリックス、ジェフ・ベック等々を見ていたミック・ジャガーは、間違いなく「弾けるギタリスト」を欲していたと思います(さらには、レッド・ツェッペリンの登場まで予見していたような気がします)。
話を『Let It Bleed』に戻して、冒頭の「Gimme Shelter」からラストの「You Can’t Always Get What You Want」に至るまで珠玉の名曲ぞろい。
ミック・ジャガーとキース・リチャーズが合体することで、このブルースをベースにした普遍的なロックのアルバムをつくり上げ、ローリング・ストーンズは、見事に本格的なロック・バンドへと変化を遂げました。
最後に面白い話を1つ。
この『Let It Bleed』、著名なオーディオ評論家が、「空気感がよく録られているアルバム」、と言っていましたが、筆者も同意します。
この空気感を録ったのは、本作のエンジニア、グリン・ジョーンズ。
グリン・ジョーンズは『Let It Bleed』の前に、レッド・ツェッペリンのデビュー・アルバムのエンジニアを務めたのですが、その空気感をグリンがジミー・ペイジの録音手法からパクッたのです。
レッド・ツェッペリンの『Ⅰ』では、ジミー・ペイジがエンジニアの仕事もし、空気感を巧く録る方法をグリン・ジョーンズに指示したのです。
その方法をグリンが『Let It Bleed』に移植したものですから、これ以降、ジミー・ペイジとグリン・ジョーンズの仲が悪くなりました。
(文 葛西唯史)
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ビートルズが本格的なロック・バンドへと変貌を遂げた『Rubber Soul』と『Revolver』
さて、今回はロックということで、ビートルズの『Rubber Soul』と『Revolver』を取り上げます。
タイトルで、本格的なロックへと変化を遂げた、と記しましたが、筆者は、ビートルズの音楽をロックとカテゴライズするのではなく、「ビートルズ」という1つの音楽ジャンルと考えています。
ですが、『Abbey Road』に到達してから全作品を振り返って、「ビートルズ」という1つの音楽ジャンルと捉えられるものであり、そうしたことからこの時点では便宜上、ロックとさせて頂きます。
1・『Help!』までのビートルズの総括
皆さんご存じのように、ビートルズは1962年10月にシングル「Love Me Do」でデビューをし、翌1963年3月にアルバム『Please Please Me』を発売し、大快進撃を始めます。
では、ビートルズの何がそんなにすごかったのでしょうか?
あるロック評論家はビートルズの歌詞をして、「欲情しきったラブ・ソングがすごく、それまでになかったラブ・ソング」、と評しています。
なるほど、それはあるとも思います。ですが、筆者は音の人なのでサウンド面からビートルズを捉えてみます。
先ず、プロデューサーのジョージ・マーティンは、アメリカのジャズ、ソウルと言った音楽に詳しく、ビートルズの楽曲にシックス、セブンスはおろかディミニッシュ、SUSと言ったコードを随所に取り入れ、楽曲をお洒落で洗練したものにしました。
そう。ジョージ・マーティンはジャズ、ソウルで多用されるコードを用いたのです。
その上で、アメリカからのロックン・ロールをビートルズ流に解釈させたのです。
これがすごかった。こんなこと、ロックン・ロール、ジャズ、ソウルの本場のアメリカのロック・バンド、ロック・ミュージシャンもやっておらず、ビートルズによってなされ、ビートルズの音楽として築き上げられたのですから。
ところが、そんなビートルズに大規模な音楽変化をもたらせる出来事が生じました。
2・『Rubber Soul』の登場と時代背景
その出来事とは、1965年にヤード・バーズを脱退したエリック・クラプトンがジョン・メイオールズのブルース・ブレイカーズに加入し、1960年のギブソン・レスポールを100Wのマーシャル・アンプにつないで、大音量で、オーバードライブ・サウンドを出したことです。「ギャイーン!」、と。
この「ギャイーン!」に皆が驚いてしまい英国でリズム&ブルースをロックに変え、米国でロカビリーをロックに変えてしまったのです。
この「ギャイーン!」は、それほどまでに革命的なサウンドでした。
これにはビートルズの4人もジョージ・マーティンも驚いてしまい、特に時代に敏感なジョージ・マーティンは、(時代が変わる)、と思ったことでしょう。
ですが、その「ギャイーン!」に直面しても、率直に書きますが、ジョージ・ハリスンもジョン・レノンもギタリストとして直ぐにモノにできる能力を全く有していませんでした。
それが幸いしたのです。
ジョージ・マーティンとビートルズは、シックス、セブンス、ディミニッシュ、SUSと言ったコードをより巧みに楽曲に活かし、スローな楽曲群でさりげなく、しかし、大規模な音楽変化を行い、大成功させました。
それが、『Rubber Soul』でした。
しかし、この『Rubber Soul』は、ビートルズの音楽変化の過度期的作品であるというのがすごい。ビートルズが本当に変貌を遂げたのは、次作、『Revolver』だったのです。
3・『Revolver』の登場
このアルバムは、「ギャイーン!」を消化して作り上げたジョージ・ハリスンの曲、「Taxman」で幕を開け、インド音楽ブームにあったイギリスでインド音楽を意識し、ワン・コードを展開する極めてロック的な「Tomorrow Never Knows」で幕を閉じます。
「ロックの時代になった」、ということは後年の者があとから時代を振り返って、判ることであり、時代の当事者のビートルズとジョージ・マーティンとしては、この『Revolver』こそが、時代への返答でした。
よく日本では、「ビートルズが音楽シーンを変えた」、と、ナントカの一つ覚えの言葉が跳梁跋扈し、筆者は辟易するのですけれども、逆なんですよ。音楽シーンの変化をビートルズとジョージ・マーティンは敏感に察知し、その音楽シーンの変化を見事に咀嚼し、ビートルズも変化を果たしたのです。
但し、その咀嚼度が余りに見事。
さて、『Revolver』が登場したのは、1966年8月。スインギング・ロンドンの渦中にあったイギリスでは、1966年にとんでもない出来事が3つ起こりました。
1つめは、渡英したジミ・ヘンドリックスのデビュー。2つめは、クリームの結成とデビュー。3つめは、ヤード・バーズにジミー・ペイジが加入したこと。
そうです。ジェフ・ベックを含めてヘンドリックス、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジの4人が、エレキ・ギターを武器にロックの扉を開き、新しい時代を築き上げた4人が、音楽シーンに顔をそろえたのです。
アメリカではサイケデリック・ムーブメント、ヒッピー・ムーブメントが勃発するなか、ビートルズはどの様に時代に対抗するのでしょうか。
(皆さん、ご承知ですよね/笑)
(文 葛西唯史)
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猥雑なグルーブ感いっぱいの70年代エアロスミス
1977(昭和52)年に日本で「ロック御三家」と呼ばれていたクイーン、キッス、エアロスミス。クイーン、
キッスと来ましたので、今回はエアロスミスです。
エアロスミスと言えば、先日、スティーブン・タイラーが解散することを表明しましたが、それが事実であるならば寂しくなります。
70年代に紆余曲折はあったものの、オリジナル・メンバーで長きにわたって頑張っていたのですから。
ところで、若い世代のエアロ・ファンで、1987年以降の復活エアロは好きだが、70年代は好きじゃない、
と言う人もいるらしいので、本稿をお読み頂いて、再度、70年代エアロスミスを聴いて下されば幸いです。
70年代エアロがあるからこそ、87年以降の復活エアロがあるからです。
1・『Rocks』に至るまでのエアロスミス
エアロスミスは1973年にデビューをしましたが、その音楽的ルーツは極めて明確でした。
先ず、ヤード・バーズ、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン等々のブリティッシュ・ロックに大きな影響を受けています。
第2に、自国のブルースにも大きな影響を受けています。
第3に、ジェームス・ブラウンを筆頭にしたファンクにも大きな影響を受けています。
その3つの要素が大きく、また、いささか乱暴な形で、『Aerosmith』、『Get Your Wings』、
『Toys in the Attic』の曲に反映されています。
そして、エアロスミスの場合、ツイン・リード・ギターな訳ですが、ドラムスとベースに2本のギターを乗せるやり方は、
ローリング・ストーンズよりも知能犯的でした。
かなり、凝っているのです。そして、それらの上で扇情的に暴れ回るスティーブン・タイラーのボーカル。
そこから生み出されたものは、猥雑なグルーブ感でした。えげつないグルーブ感、と言っても良いでしょう。
そうです。上記3つの要素と上述のバンド・スタイルから生み出された猥雑なグルーブ感こそが、
70年代エアロスミスの武器であり、最大の魅力でした。
また、『Get Your Wings』からプロデューサーにジャック・ダグラスを迎えたのですが、ダグラスは、
ライブにおけるエアロスミスの猥雑なグルーブ感を如何にスタジオ盤で再現するのかを目標としました。
そのジャック・ダグラスの目的が達成されたアルバムが、『Rocks』です。
2・『Rocks』
エアロスミスは前作、『Toys in the Attic』がビルボードで11位に上り、大成功を収め、ツアーでもトリを務め、
ポンティアック・シルバー・ドームでは記録的な観客を動員しました。
そして、バンドとジャック・ダグラスは『Rocks』で大勝負に出ました。この『Rocks』が成功すれば、
エアロスミスは全米を制覇するからです。
この『Rocks』のレコーディングは、スタジオではなく、巨大な倉庫で行われました。
自然な残響音をジャック・ダグラスは録りたかったのです。
結果として、オープニングの「Back in the Saddle」から猥雑なグルーブ感に満ち溢れたエアロスミス・サウンドが炸裂し、
全9曲を一気呵成に聴かせてしまいます。
なるほど、確かに『Rocks』には、それまでの3作にはあった「Dream On」、「Same Old Song and Dance」、
「Toys in the Attic」、「Walk This Way」の様なキャッチーな楽曲はありません。
しかし、キャッチーな楽曲がないからこそ、ハードなロックンロール曲、全9曲を一気呵成に聴かせてしまうことに成功しています。
とにかく、この『Rocks』は、ジャック・ダグラスの意図が花開いたエアロスミス・サウンドが聴けることから、
優秀なオーディオ機器で、そしてレコードで聴いてほしく願います。
3・『Draw the Line』
1977(昭和52)年には初来日公演を大成功させたエアロスミス。エアロスミスは5枚目のレコーディングに臨みました。
アメリカにはお城はないはずですが、またジャック・ダグラスが自然な残響音を録りたいことから、
日本では、「お城でレコーディングされた」と報道されていました。
お城説はともかく、自然なエコー感が録られていて、筆者はとてもカッコイイ、サウンドだと思います。
ただ、この時期、バンド内ではどうしようもない薬物問題が生じていました。
また、スティーブンとジョー・ペリーの間に軋轢が生じました。
ですが、筆者は、小学6年生の1978(昭和53)年1月に本作を聴いたのですが、猥雑なグルーブ感がピークに達した
カッコ良さを感じて驚愕したものです。
露骨にファンクを意識した「Get it Up」の様な佳曲もあれば、「Kings and Queens」の様なブリティッシュ・ロック的な曲もあり、
発売当初、日本では大騒ぎ。オリコンでも9位に上る大ヒット。
この『Draw the Line』は、バラエティに富みながらも全9曲を一気呵成に聴かせてしまう力をもっています。
是非、優秀なオーディオ機器で、また、レコードでこの『Draw the Line』を聴いてみて下さい。
4・『Live Bootleg』
『Draw the Line』以降、エアロスミスは、ライブ・バンドとして押しも押されぬ地位を獲得し、カリフォルニア・ジャム他の
フェスティバルでトリを務めました。
そして、エアロスミスは『Live Bootleg』を制作し、発売した訳ですが、このアルバム、筆者が選ぶロックの名ライブ・アルバム5枚を
行おうものならば必ず入れる、必殺のライブ・アルバム。
とにかくお行儀のいい演奏を選んで収録したはずなのに、「それでこれかい!」、と、先ず大笑いをします。
そして、その上で、「カッコイイ~!」、となってしまうのです。
エアロスミスはテクニックを聴かせるバンドではないし、むしろテクニックを放棄し、猥雑なグルーブ感を
目いっぱい音の塊として聴かせるバンドなのですが、それが『Live Bootleg』では、スピーカーを破らんばかりに音が飛び出してきます。
この『Live Bootleg』も、是非、優秀なオーディオ機器で、そしてレコードで聴いてみて下さい。
5・終わりに
筆者は、『Rocks』でも『Draw the Line』でも『Live Bootleg』でも、優秀なオーディオ機器で、レコードで聴いてほしい旨、
記しましたが、それは以下の理由からです。
上記3枚のエアロスミス・サウンドは、レッド・ツェッペリン同様に、「(バンドの)音の質感を聴かせる」ものだからです。
こうした音の質感を聴かせるアルバムは、やはり、優秀なオーディオ機器で、レコードで聴きますと、
サウンド全体を大きく捉えられるものなのです。
ジャック・ダグラスが如何に緻密にエアロスミス・サウンドをつくっていたかが、良くお分かり頂けるものと思います。
筆者は、エアロスミスには、解散してほしくなく思います。
(文 葛西唯史)
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ロック界を牽引した地獄からの使者、キッス,The KISS
はい。今回はロックでキッスを取り上げます。
小学6年生の筆者を1977(昭和52)年にロックの世界に誘ったバンドです。1977(昭和52)年には、
日本で、クイーン、キッス、エアロスミスが「ロック御三家」とされていたのです。
90年代の半ばくらいにオリジナル・メンバーで再度、メイクを施してから第2期・キッス黄金時代を迎えたことを
ご承知の方は多いものと思われます。
1・キッス、初来日時の大騒動
本来、バンドが登場した頃の音楽事情とかを先ず、記すべきかと思うのですが、特にないのです、残念ながら。
その代わりに、キッスが1977(昭和52)年に初来日をした際の日本での大騒動を生き証人として記します。
まあ、ともかく、あの派手なメイクとコスチューム、火を吹く・血を吐く・ギターを燃やすetc・・・・・・
のステージが大きな話題になったのですが、それ以上に、キャッチーで解りやすいキッスの楽曲群も大評判になっていました。
それで、キッスが日本武道館初夜のライブを行ったら、翌日のスポーツ新聞でライブの模様が大きく取り上げられ、
果ては一般週刊雑誌までもがライブの模様を載せました。
そして、あろうことか、篠山紀信が撮影したライブの写真を中心にH系雑誌の増刊号として発売されました。
あの篠山紀信、撮影ですよ。
ともかく筆者は、キッス以降の来日外タレをつぶさに見てきましたが、キッスの様に大騒ぎになったのは、
1990(平成2)年3月のローリング・ストーンズ、初来日公演だけでしょう。いや、とにかくすごかったのです。
また、NHKが武道館ライブの模様をシューティングし、『ヤング・ミュージック・ショー』で放送したのですが、
視聴率が高く、同年秋には再放送がなされました。
先に、キャッチーで解りやすいキッスの楽曲群と書きましたが、これがキッスの大きなファクターでした。
小学6年生の少年を虜にしたのですから。
クイーンも解りやすかったのですが、解りやすさの質が異なっていました。
クイーンの場合、あの歌謡メロ。キッスの場合、キャッチーでポップな曲。そう言う違いでした。
ただ、キッスって、ヨーロッパで人気がなかったのです。クイーンと逆ですね。
2・キッスが大ブレイクを果たした、『Alive!』
キッスは1973年にデビューをしましたが、人気が出ず、煮詰まったバンド側は唯一(?)人気があったデトロイトでの
ライブの模様を収め、『Alive!』としてリリース。
これが大ヒットをし、全米でゴールド・ディスクを獲得しました。
本来、ロックのアルバム紹介と言った場合、ライブ・アルバムは御法度かと思うのですが、本作はバンド初期のベスト・アルバムを
担っていることから、お許し頂きたく願います。
ともかく、この『Alive!』はカッコイイ!
ライブ・バンドとしてのキッスの模様のドキュメンタリー・アルバムです。
聴衆も大いに盛り上がっており、会場の熱気が十分に伝わってきます。
キッスは、残念ながらノー・テク・バンドなので、アドリブは全然なく、例えばエース・フレイリーのギター・プレイは全てお約束。
でも、キッスはそれでいいのです。
アドリブ・プレイが出来ないから、逆にライブでも曲がコンパクトにまとまり、キッスの楽曲を生きさせるのですから。
筆者は、ピーター・クリスがリード・ボーカルを取る、「Black Diamond」が大好きです。
ですが、邦題の『地獄の狂獣』とは、何なのでしょう・・・・・・?
3・キッス、スタジオ盤の最高傑作、『Destroyer』
これも邦題が何故、『地獄の軍団』になるのか、筆者は小学6年生の時に謎に思っていました。
邦題はさておき、『Alive!』が売れたキッスは、このアルバムの制作に力を注ぎました。
このアルバムが失敗したら、キッスは一発屋で終わってしまうからです。
ですが、プロデューサーにボブ・エズリンを迎え、ボブもキッスも頑張り、本作は大成功を収めました。
アルバムの冒頭を飾る「Detroit Rock City」を筆頭に、今日までライブで演奏される曲が数多く入っています。
あと、特に書くことはないので、筆者の思い出話を記します。
筆者が中学3年生の際の音楽授業の夏休みの課題として、クラス、2人1組となって、曲は自由ですが、
「2人1組での演奏、または歌う」というものが出されました。
それで筆者はエレキ・ギターを持っていた友人と組み、夏休み明けの音楽授業で筆者がエレキ・ギターを弾き、
「Detroit Rock City」をやったのです。
アンプの代わりに音楽室のステレオの“マイク”にシールドをつないで、歪み系エフェクターと共に、
ステレオのスピーカーからギターの音を出したのです。
筆者は、大スターになりました。
ところが、授業が終わると担任教師が音楽室の前に立っており、筆者は担任に連れられ、校長室に連れて行かれ、校長から説教をされました。
最後に校長と担任が、「あのな、ロックやエレキ・ギターなんて今だけの流行で、20年後には消えて無くなっているぞ!」、と言いました。
むかっ腹が立った筆者は、大きな声で言い返しました。
「30年後には、レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズ、ビートルズは、ロックのクラシックとなって聴かれ続けています!
エレキ・ギターだって盛んです!」、と。
筆者が中学3年生だったのは、1980(昭和55)年。さて、20年後、30年後に正しかったのはどちらでしょうか。
筆者は、敵を牙突で倒した斎藤一(漫画『るろうに剣心』)の様に、くわえ煙草をしながら言います。「この阿呆どもが」。
4・キッス、『Alive Ⅱ』
このアルバムも『Destroyer』とその後の2枚のベスト・アルバムの要素を担っています。
やっぱり、ロックは、ライブ・アルバムがカッコイイのが最高です。
もう、オープニングの「Detroit Rock City」からカッコイイったらありゃしない。
「Makin’ Love」も「Love Gun」も「I Stole Your Love」もライブならではのカッコ良さ。
「Beth」には泣けます。
レコードで言うD面には新たなスタジオ録音曲が入っており、これが駄作ばかりなのが難ですが、
A面~C面だけでも買って聴く価値が十分にあります。
5・終わりに
クイーンもそうですが、キッスも音楽(あるいはサウンド)について、分析をするところってないんですよ。
でも、それでいいと筆者は思います。
例え、クイーン同様に、子ども向けロックであっても、懐メロ状態でたまに聴きますと、遠い少年の日々に帰ることが出来る、
楽しいロックなのですから、キッスは。
(文 葛西唯史)
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