さて、今回はロックで、未だに日本を含めた世界中で大人気のクイーンについて記したいと思います。
筆者は、1977年の初夏にキッスとクイーンでロックに目覚めました。思い出深いバンドなのですが、
つい最近、クイーンの初期の5枚(だったかな?)のアルバムがハイレゾD/L配信されたことから、タイムリーだと思われます。
1・クイーン、登場の音楽的背景
クイーンがデビュー・アルバムを発表したのは1973年のことですが、その頃の音楽的背景を述べておきます。
ロックの時代は、その先導者がビートルズからレッド・ツェッペリンへとバトン・タッチがなされ、
ハード・ロックが大人気を博し、イギリスではプログレッシブ・ロック、グラム・ロックが大ブームにあり、
アメリカではサザン・ロックとかも大人気でした。その様ななか、クイーンのデビュー・アルバムは、
ギタリストのブライアン・メイが主導権を握り、ハード・ロック的要素、ビートルズ的要素を織り込み、
ギターを多重録音した(日本では、ギター・オーケストレイションと呼ばれていました)ぶ厚いサウンドを全面に打ち出していました。
続くセカンド・アルバムは、デビュー・アルバムをもっと過激に推し進めたものでしたが、批評家からは酷評を浴び、
英国では全くレコードが売れませんでした。ただ、極東の島国では、そうしたサウンドとボーカルの解りやすい歌謡メロが大いに受け、
加えて、メンバーたちが少女マンガの世界から出てきた様なルックスであったことから、大人気になりました。
そして、3作目の『Sheer Heart Attack』から、フレディ・マーキュリーの曲であるシングル、「Killer Queen」がヒットし、
クイーンはフレディ・マーキュリーが仕切るバンドに変わりました。バンド内で下克上が生じたのです。仕方ないんですよ。
ギタリスト、ブライアン・メイの特徴って、自分で作ったギターのレッド・スペシャルとピックの代わりに古い1ペンスのコインを用いる、
と言うことしかなく、奏法上の特徴とかって一切、ないんですから。
2・『A Night at the Opera』
さて、クイーンはフレディ・マーキュリーが完全に仕切るバンドとなってから最初にリリースされたアルバムが、『A Night at the Opera』。
このアルバムから「Bohemian Rhapsody」が大ヒットし、今日まで、ロックの名曲、ベスト30を行うと
必ず上位に食い込むクイーンの永遠のアンセムとなりました。
筆者は、6歳年長の姉が買ってきた『A Night at the Opera』を聴いて、「Bohemian Rhapsody」を聴いて、驚きました。
あの多重録音したアカペラ・コーラスに。(ロックって、こういうことをやってもいいんだ)、と、小学6年生の筆者は思いました。
また、『A Night at the Opera』は楽曲が多彩でありながらも、見事な統一感がなされています。
これにも当時、筆者は驚いたものです。プロデューサーであるロイ・トーマス・ベイカーが偉かったのです。
ともかく、この時期にクイーンは初来日公演を果たし、日本武道館に多数の女性ファンの悲鳴にも似た絶叫がこだましました。
やはり、クイーンと言いますと、この『A Night at the Opera』が先ず最初に来るのでしょうね。
3・『News of the World』
はい。いいです。筆者が思い出深い『A Day at the Races』は飛ばして、『News of the World』。
この『News of the World』を筆者は、クイーンのアルバムで最初に新譜として買ったアルバムです。姉にプレゼントとして買ってあげたのです。
このアルバムからは、「We Are the Champions」が大ヒット。「We Will Rock You」ともども、
ヨーロッパのサッカーの大きな大会(ユーロ)でよく流れます。
そう言えば、先頃、アメリカの大統領予備選において、トランプ氏が「We Are the Champions」を使っていたのですけれども、
ブライアン・メイから、(使うんじゃねぇ!)、と使用禁止を言い渡されました。
このアルバム、「We Are the Champions」や「We Will Rock You」ばかりが注目されがちですが、
他にも「Spread Your Wings」とかの佳曲もありますので、そちらにも目を向けてほしいものです。
そして、筆者は、雑誌『ミュージック・ライフ』を購読していましたが、その人気投票でクイーンは圧倒的な強さで
1位になっているのを見て、驚きました。あのレッド・ツェッペリンが万年2位なのですから。ただ、ここで恐ろしい事実を書きます。
日本やヨーロッパでは、大人気のクイーン。しかし、アメリカでは、一部の地域以外では、まだ、前座バンドだったのです。
そんなクイーンにやっと全米を制覇する時期が来ました。
4・『The Game』
クイーンは、ともすれば、『Live Killers』をリリースして解散しかねない状況にありました。それほど、
バンド内では人間関係に不協和音が走っていました。ところが、「Crazy Little Thing Called Love」の着想を得たフレディ・マーキュリーが
スタジオに他の3人を再度、集めて作ったのが『The Game』。
はい。『The Game』から「Crazy Little Thing Called Love」がアメリカでも大ヒットをし、とうとうクイーンは全米制覇を果たし、
アメリカでもトリを務める全米ツアーを行えるようになりました。晴れて、クイーンは、“We Are the Champions”となったのです。
しかし、日本では、この『The Game』からレコードが売れなくなり、人気も急下降し、雑誌『ミュージック・ライフ』の
人気投票でも1位から6位くらいに転落(うろ覚え)。
続く、『Hot Space』、『The Works』、『A Kind of Magic』はオリコンでチャートインしませんでした。
音をシンプルにしたが故に、アメリカでも成功を果たしたクイーンですが、日本人にとっては大仰なサウンドを出すのがクイーンだったのです。
1985年のLive AID では、英国で、ベスト・パフォーマンスの賞賛を浴びたクイーンですが、日本では1985年当時にLive AID を
見ても誰一人、クイーンを話題にする人はいなかったのです。
5・終わりに
フレディ・マーキュリーは、1991年に、愛の為に、他界しました。
その愛に殉じたフレディ・マーキュリー。それからです。ヨーロッパやアメリカの×××たちがクイーンのCDを多数買って、
約3億万枚ものセールスを記録したのは。日本でもトレンディー・テレビ・ドラマの主題歌やCMソングにクイーンの曲が使用され、
クイーンを知らない若者にベスト・アルバムが売れたりしました。クイーンは歌謡メロですから、
日本のお茶の間にもなじみやすかったのです。
ただ、『News of the World』からリアル・タイムだった筆者は、『The Game』からのクイーンを思うと複雑な気持ちになります。
筆者と同じ考えをもつ、同世代、または、年上の世代は殊の外、多いのです。
(文 葛西唯史)
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