ロック記事/批評/評論

ロックの歴史を変えたレッド・ツェッペリンの「Ⅰ」

今回はロックをテーマにして記したいと思いますが、ロックの不滅の金字塔、レッド・ツェッペリンについて、
ツェッペリンが成してきた業績を全てのアルバムを通して考察してみたいと思います。
そこで、今回は、彼らのデビュー・アルバム、レッド・ツェッペリン・『Ⅰ』を取り上げます。

Led Zeppelin 1

1・レッド・ツェッペリン登場前夜の音楽背景

レッド・ツェッペリンが結成されたのは、1968年秋のことですが、イギリスの音楽界はリズム&ブルースのみならず、
ブルース・ブームの渦中にありました。ただ、アメリカから入ってくる音楽要素、例えば、フォーク・ロック的テイストのもの、
サイケデリック、そうしたものをイギリスのロック・ミュージシャンは、独自の解釈をし、取り込んでいたのですが、
その上でブルース・ブームが長く続いていました。また、ビートルズは健在でした。

その様ななか、ローリング・ストーンズは原点回帰を施して、自らのルーツを見つめ直し、アコースティック・ブルースを
大胆に導入した、『Beggars Banquet』をリリースし、シングル、「Jumpin Jack Flach」を大ヒットさせていました。

他に渡英して、イギリス人に認められて以来、大活躍をしている、ジミ・ヘンドリックス。

さらには、2年ほどの活動でありながら、世界の音楽シーンに多大な影響を与えたクリームが解散を発表し、
また、ジェフ・ベックが自身のバンドで『Truth』をリリースしたという状況にありました。

時代は、混沌としながらも音楽シーンは活況を呈し、音楽シーンは常に新たな才能の出現を待ち望んでいたのです。

その様ななかで、ヤード・バーズの最後のギタリストであったジミー・ペイジが、レッド・ツェッペリンを結成しました。

2・レッド・ツェッペリン、『Ⅰ』に対する辛辣な批評の理由

当初、バンドはニュー・ヤード・バーズと名乗ってもなかなかイギリスでライブを行う機会に恵まれなかった
レッド・ツェッペリンは、直ぐに活動の拠点をアメリカに移し、ハードなツアーに出ました。

そして、レッド・ツェッペリンは瞬く間にライブ・バンドとして認められ、大成功を果たしました。

ですが、アメリカで1969年1月12日にリリースされたレッド・ツェッペリンの『Ⅰ』は、批評家筋に酷評をされました。
アメリカでは、雑誌・ローリング・ストーン誌を中心に批判にさらされました。

イギリスでは、ブルース純粋主義者であるキース・リチャーズ、エリック・クラプトン等々が、辛辣な言葉を浴びせました。

では、何故、レッド・ツェッペリンのデビュー・アルバムがそんなに酷評をされたのか。

ブルース・ブームの渦中にあったイギリスはもとより、アメリカでもブルース・ロックをやるのであれば、
“如何にアメリカの黒人ブルースマンの様にプレイできるのか”が、最重要課題であったのです。

ところが、ブルース・ロックを展開したレッド・ツェッペリンの『Ⅰ』は、ブルースを音楽の1つの要素と対象化し、
自らの白人音楽としてのロック確立のための構成要素としたのです。

もっと解りやすく言えば、ブルースを目的とするのではなく、音楽創造のための手段とした訳です。

これが、レッド・ツェッペリンのデビュー・アルバムが酷評をされた理由です。

しかし、結果はどうでしょう。レッド・ツェッペリンの『Ⅰ』は、2016年の今日に聴いても一切風化することなく、
現在進行形の音楽であり続けています。反対に、ブルース純粋主義者の音楽は長年の風雪に耐えきれず、風化し、
人々に忘れ去られました。ブルース純粋主義者で未だに健在なのは、キース・リチャーズとエリック・クラプトンのみなのです。

結果は、レッド・ツェッペリンの、プロデューサーであるジミー・ペイジの圧倒的勝利でした。

3・レッド・ツェッペリン、『Ⅰ』の意義

Led Zeppelin 2

このアルバムが持つ最大の意義は、上述の、ブルースを音楽の1つの要素と対象化し、自らの白人音楽としての
ロック確立のための構成要素としたことにあります。当時のロック・シーンにおいて、最初の試みでした。

もう1つの大きな意義は、このアルバム全体が、ジミー・ペイジの音楽的実験がなされており、それが大成功していることです。

当初、売れっ子のスタジオ・ミュージシャンであり、ヤード・バーズのギタリストとなったジミー・ペイジには
たくさんの音楽アイディアがありました。

そのペイジの音楽アイディアが、ジョン・ボーナム、ジョン・ポール・ジョーンズ、ロバート・プラントといった天才が
集結したことにより、具現化がなされたのです。

例えば、「Baby I’m Gonna Leave You」は、スパニッシュ・ギターの要素を用いたアコースティック・ギターによるバラードと
ハードなロックの融合で、それまでのロック・シーンには全くなかった形式の楽曲でした。

この様に、「Goodtimes Badtimes 」から「How Many More Times」に至るまで、全ての楽曲において、
ジミー・ペイジの音楽的実験がなされており、それが成功を収めているのです。

プロデューサー、ジミー・ペイジは他のメンバー3人から音楽アイディアを引き出すことに、非常に長けていて、
ペイジを含む4人が化学反応を生じた結果、それまでになかった新しいバンドの様式が誕生しました。

このレッド・ツェッペリン、『Ⅰ』から、2016年の今日まで誰も到達しえなかった、ロックの高い頂へと
レッド・ツェッペリンは登りつめて行きます。

ZEPファンのみならず、ロック・ファン、音楽ファン、必聴の1枚です。

(文 葛西唯史)


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傑出したロック・トリオ、ポリス(The Police,Sting)

トリオでのロック・バンドとは、言うまでもなく必要最小限でのユニットであり、クリーム、ポリス、
ニルヴァーナと言った優れたバンドを輩出しています。
クリーム、リアル・タイム世代なら、「クリーム、最高!」となるでしょうし、ニルヴァーナ、
リアル・タイム世代なら、「ニルヴァーナ、最高!」となるでしょう。

筆者の場合は、ポリス、リアル・タイムなので、「ポリス、最高!」となってしまいます。

そこで今回は、ポリスについて、記したいと思います。

police_sting

1・アルバム、『Synchronicity』までの過程

ポリスは、ロンドン・パンクが吹き荒れた直後のニューウェイブ・ムーブメントのなかから輩出されました。

このニューウェイブ・ムーブメントからは、ポリス以外に、エルヴィス・コステロ、ジョー・ジャクソンと言った、
素晴らしいロック・ミュージシャンが現れました。

ポリスの登場が極めて斬新であったのは、デビュー・アルバム、『Outlandos d’Amour』において、
パンク調の曲があるものの、レゲエを取り入れ、それを柱として自らの新しいロックを提示したことにあります。

この『Outlandos d’Amour』から、「Roxanne」、「Can’t Stand Losing You」が大ヒットし、ポリスは、
一躍メジャー・バンドになりました。

また、ポリスの場合、他のニューウェイブ・ミュージシャンと大きく異なったのは、ものすごい高度な演奏技術を
有していたことがあり、最小限の音で楽曲を組み立てますが、高度な演奏技術のために音がやせていないこともあります。

その後、ポリスは、『Reggatta de Blanc』、『Zenyatta Mondatta』、『Ghost in the Machine』と、
アルバムをリリースし、メンバーの音楽的志向・意見を楽曲に反映させながら、ロック・シーンを躍進し、
また、その躍進を支えたものに、「Message in a Bottle」、「Don’t Stand So Close to Me」、「Do Do Do Do,De Da Da Da」
、「Spirits in the Material World」等々の世界的大ヒットがありました。

しかし、筆者は、それらのアルバムを聴いて、思ったのです。

(まるで、12気筒エンジンのランボルギーニやフェラーリが、一般道を走っているような余裕がある。
こいつら、レゲエの要素を取り払って、独自のロックをつくったら、一体、どうなるんだ?)、と。

2・アルバム、『Synchronicity』のリリース

Synchronicity

その筆者の思いは、1983年にリリースされた『Synchronicity』で露わになりました。

『Synchronicity』を聴いた筆者は、(じぇじぇじぇーっっっ!)、と驚き、(びっくりぽんやわー)、となったのです。

この『Synchronicity』は、レゲエの要素を取り払い、それまでの過程でつちかってきた音楽要素をもとに、
さらに強力な音楽アイディアをたくさん織り込んで、より強力なポリス、独自のロックをつくり上げたのです。

『Synchronicity』は、前作である『Ghost in the Machine』から、音の数が多くなっていたのですが、
そうかと言って、『Outlandos d’Amour』、『Reggatta de Blanc』、『Zenyatta Mondatta』のシンプルさも併せもっており、
良い意味で奇妙な楽曲がそろっているのが、大きな特徴です。

この『Synchronicity』からは「Every Breath You Take」が世界的メガ・ヒットを記録しました。

しかし、この『Synchronicity』は、1曲目の「SynchronicityⅠ」からラスト曲の「Tea in the Sahara」に至るまで、
緊張感が一切、弛緩することなく、一気呵成に聴かせてしまう名曲がずらりと並んでいます。

ところが筆者はこうも思いました。

(もう、ポリスは、これ以上のアルバムをつくることができないじゃないか)、と。

事実、1986年にポリスの3人はスタジオに集まったのですが、『Synchronicity』以上のものをつくることが
不可能だったことから、事実上の解散になりました。

この『Synchronicity』で、ポリスは臨界点を迎えたのです。

その全てのアルバムが傑作なポリスでしたが、特にこの『Synchronicity』はロック史上、稀有の大傑作アルバムとして君臨しています。

3・『Live』のリリース

普通、ロックのアルバムを紹介する際には、スタジオ盤を紹介するものですが、筆者は敢えて、
この『Live』を紹介させていただきます。

The police Live

この『Live』、1995年にリリースされたそうですが、筆者はそれを知らず、SACDとのハイブリット盤として
再リリースされた時に初めて『Live』を知り、買って聴きました。

この『Live』には、1979年ボストンでのライブと1983年のSynchronicity・ツアーにおけるアトランタでのライブが収録されています。

後者のアトランタでのライブは昔から映像化されていて有名な音源ですが、どちらのライブも素晴らしく、
ハイクオリティな音で楽しむことができます。

1979年ボストンでのライブは、全米制覇をもくろむメンバー3人の意気込みがすごく、まるで、
日本刀のような切れ味を出しているのが大きな特徴。

1983年アトランタでのライブは、円熟のプレイが聴けるのですが、ここでのライブ・アルバムは、
完全なベスト・アルバムの形になっているのが大きな特徴。

やはり、ベスト・アルバムを聴くなら、スタジオ盤のそれよりも、聴衆との熱気の絡み合いを見せる
ライブ・アルバムの方が良いことから、『Live』を紹介させていただきました。

ところで筆者は1983年アトランタでのライブを聴くたびに思います。

(ポリスの歌詞って、深刻で重い歌詞ばっかりなのに、それをスティングはアイドルしながら、
楽しく歌っているけれど、このギャップは・・・・・・)

(文 葛西唯史)


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追悼、天才・音楽のイノベーター、プリンス

先日、プリンスが死去しました。57歳の若さでした。余りに突然の出来事ゆえ、しばし呆然とし、
そして悲しんだプリンス・ファン、音楽ファンが多いことでしょう。

ここでは、プリンスの何が偉大で、音楽界にどのような業績を残したのかを記したいと思います。

prince1枚目

1・「プリンス」とは何か。

プリンスというミュージシャンは、その音楽様式において、簡単にブラック・ミュージックと
ひとくくりに出来るものではありません。

何故なら彼の音楽様式は、ファンク、ソウル、モータウン、ブルース、ロック、ジャズの混合体だからです。

それ故に、プリンスの音楽は単純にブラック・ミュージックととらえるのではなく、「プリンス」、
と言う1つの音楽ジャンルと認識する必要があります。

音楽史を紐といても、マイルス・デイヴィス、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、そして、
プリンスしか自分自身の音楽を1つの音楽ジャンルに形成したミュージシャンはいないのです。

そして、プリンスと言いますと、そのラディカルな才能で過激に音楽をつくることで有名でしたが、
彼はジョニ・ミッチェルやレッド・ツェッペリンの大ファンであることから、繊細さを音楽に付随させ、
さらに音楽で光と陰を見事に描写させることを得意としていました。

また、プリンスに関して、意外に見落とされがちなことに、かなり非凡なギタリストであった、
と言うことがあります。

ともかく、「プリンス」とは、プリンスという1つの音楽ジャンルを形成したミュージシャンで
あることをご認識していただきたく思います。

2・ラディカルな才能で革新的なアルバムを多数つくり上げ、ミュージック・シーンを牽引

プリンスは、初期の頃からラディカルな才能でアルバムをつくっていましたが、そのラディカルさが
見事にまとまって出来上がったアルバムが、1982年リリースの『1999』。

そして、そのラディカルさが見事に昇華され、大衆性をもったアルバムが、1984年リリースの『Purple Rain』です。

purple rain

この『Purple Rain』でプリンスは、大ブレイクを果たしました。

1980年代に入るや否や、ポピュラー音楽シーンは、極一部を除けば、音楽面での新たなボキャブラリーが
出つくし、停滞期に入りました。

そこにプリンスが『Purple Rain』でポピュラー音楽シーンに大きな風穴をあけ、音楽面での新たなボキャブラリーで、
停滞していたポップ・ミュージックを大きく前進させたのです。

この『Purple Rain』では、プリンスがもつラディカルな才能がとても分かりやすく提示されており、
最初の「Let’s Go Crazy」からラストの「Purple Rain」まで、一気呵成に聴かせてしまいます。

ラスト曲の「Purple Rain」を泣きながら聴いたファンは、きっと多いことでしょう。余りにも感動的です。

プリンスがもっていた音楽面での新たなボキャブラリーとは、音楽における新たな技術革新(イノベーション)であり、
プリンスはその音楽的イノベーションでポップ・ミュージックを大きく前進させたのです。

そして、プリンスはその後、音楽的イノベーターとして、ポップ・ミュージックを大きく牽引していきます。

アルバム、『Around the World in a Day』、『Parade』、『Sign of the Times』……と。

3・プリンスの変化・進化過程をあらかじめ予見していた作品、『The Black Album』

ラディカルな才能を大きな武器に快進撃を続け、ポップ・ミュージックを大きく前進させてきたプリンス。

しかし、『Sign of the Times』と同じ1987年にレコーディングされたアルバムがお蔵入りになりました。

sign of the time

このアルバムは、『The Black Album』と呼ばれ、何でも海賊盤が出回り、それが多数、売れたのだそうです。

ところが、1994年に『Come』がリリースされた後に、その『The Black Album』が突如、リリースされました。

この『The Black Album』を聴いた筆者は、びっくり仰天。

何故なら、『The Black Album』には、『Lovesexy』から『Come』に至るまでのプリンスの音楽変化・
進化の要素が全てつまっていたからです。

あくまでも推測ですが、1987年に『The Black Album』をつくったプリンス自身が大きなとまどいを覚え、
お蔵入りにし、その後、『Come』に至るまでの流れにおいて、プリンスが客観的に、『The Black Album』に
『Lovesexy』から『Come』までの自分の音楽変化・進化の要素があったことを自覚したからこそ、
『The Black Album』のリリースに踏み切ったのだと思われます。

『Come』と言うアルバムも至高の傑作アルバムなのですが、その『Come』までの変化・進化要素を凝縮した
『The Black Album』を聴けば、プリンスが真の天才であることを疑う余地はまったくないと言えるでしょう。

4・プリンスのラディカルさを支えたものは何か

prince live

音楽的イノベーションを有し、ポップ・ミュージックそのものを長年にわたって牽引してきたプリンス。

それは、余りにもラディカルでした。

プリンスの偉大さとは、余りあるラディカルな才能をもち、音楽的イノベーターとして存在していたことにあります。

そして、そのプリンスが音楽界に残した業績とは、ラディカルな才能で革新的なアルバムを多数つくり上げ、
ミュージック・シーンを牽引してきたことです。

それでは、そのプリンスのラディカルさを支えたものは何か、と言うことになります。

陳腐な言葉で恐縮なのですが、それは「表現者としての狂気」、でしょう。

音楽のジャンルを問わず、偉大なミュージシャンを思い浮かべてみて下さい。

マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、ヘルベルト・フォン・カラヤン、
マルタ・アルゲリッチ、ダヴィッド・オイストラフ、ジョン・レノン、レッド・ツェッペリン、デヴィッド・ボウイ。

皆が皆、その才能の頂点においては、狂気の人でした。

マルタ・アルゲリッチは、まだ現役ですが、巨大な狂気を秘めています。

そうしたことから、プリンスも狂気の人だったのです。

そして、その狂気がプリンスのラディカルさを支えていました。

マイルス・デイヴィスやレッド・ツェッペリンの再来が現れないように、プリンスの再来も現れないことでしょう。

最後に、筆者はプリンスに、この様に申し上げたいと思います。

(長い間、素晴らしい音楽を届けてくれてありがとう、プリンス)
(文 葛西唯史)

 


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